最新情報

当NPOクラブ萩原理事が、2月10日、小田原寺子屋スクールに招かれ、講義を行いました。

2019年02月16日 報告, 最新情報

平成31年2月10日(日)に2月度の授業を行いました。

【第一時限】栗田亘先生(元朝日新聞「天声人語」担当、早稲田大学客員教授、「朝日川柳」選者)

今月は、中国の古典『菜根譚(さいこんたん)』から、いくつかの言葉を学びました。『菜根譚』は、今から四百年ほど前に洪自誠(こうじせい)という人が書いた書物で、三百五十七の短い文章から成り立っています。中国ではあまり重要視されませんでしたが、日本では江戸時代から読まれ、とくに明治時代には多くの人に愛読されたそうです。『菜根譚』には、儒教、道教、仏教の思想が合わさってできた、生き方のコツや人生の知恵が詰まっています。以下に、授業で学んだ言葉の中から3つを紹介します。

◆心やや怠荒(たいこう)せば、すなわち我より勝れるの人を思え。すなわち精神自ずから奮わん
◆事やや払逆(ふつぎゃく)せば、すなわち我に如かざるの人を思え。すなわち怨尤(えんゆう)自ずから消えん

一つ目は「怠け心が生まれたときは、自分よりすぐれた人のことを考えなさい。そうすれば、またやる気が湧いてくるよ。」、二つ目は「ものごとが思いどおりにならないときは、自分より条件の悪い人のことを考えなさい。そうすれば、しぜんに不満が消えるだろう。」という意味です。

◆冷より熱を視て、しかる後に熱処(ねつしょ)の益なきを知る

この言葉は「冷静な状態になってから、熱狂していたときのことを振り返ってみると、熱に浮かされて動き回っていたことの空しさがわかってくるものです。」という意味で、頭に血がのぼっている時などに立場を変えてみることを説いています。このように『菜根譚』は、私たちに心のバランスをとることの大切さを教えているのです。

 

【第二時限】萩原一夫先生(経営支援NPOクラブ理事、元三井物産キャピタル社長)

萩原先生は、大学4年生の時にドイツに関心を持たれ、三井物産に入社後、約7年半ドイツに勤務されました。授業では「ドイツの戦後リーダーとドイツ現代史」と題して、歴代の首相とその時代について詳しく解説して頂きました。
1945年にヒトラーがベルリンの地下壕で自殺します。ドイツおよびベルリンは4つに分割され、米、ソ、英、仏によって占領されます。1948年、首都ベルリンの支配を巡って、ソ連が米国を中心とする西側連合国と対立しベルリンを封鎖します。西側はドイツ人によって起草された憲法をもって、1949年にボンを首都とする西ドイツを成立させました。こうしてドイツは東西に分断され、冷戦時代は1989年のベルリンの壁崩壊、1990年のドイツ統一までの40年間続きます。
ドイツでは、戦後8人の首相が誕生します。初代アデナウアーは73歳で首相に就任、1963年に仏との間で結んだ独仏友好協力条約は今日のEUへと発展しました。授業では、1990年のドイツ統一時代に首相を務めた6人目のコール、その後ドイツの財政の黒字化に貢献した7人目のシュレーダー、物理学者でもあり脱原発を打ち出した8人目のメルケルについて解説して頂きました。その中でも、萩原先生が最も尊敬されている人物が4人目のブラントです。ブラントは、若い頃から反ナチス運動に奔走し19歳の時にノルウェーに亡命、その後もナチスに追われますが、1945年にドイツが敗戦すると母国に戻り、西ベルリン市長を経て4人目の首相に就任します。これまでの東との対立姿勢を180°転換し、ソ連のブレジネフ書記長とモスクワ条約を締結、紛争をなくし平和を約束します。ユダヤ人への謝罪、東西ドイツ首相会談の実現など、数々の功績が認められ、1971年にノーベル平和賞を受賞、「ブラントなくしてゴルバチョフなし」と言われています。
授業の最後に、生徒へのメッセージとして、元ドイツ大統領のヴァイツゼッカーの言葉を紹介して頂きました。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる。若い人たちに過去の歴史の過ちの責任はない。だが、その過ちがなぜ生じたのかを知る必要がある。」

 

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